朝ドラを見ていて感じる不満
NHKの朝の連ドラのファンは多いと思います。
主婦中心だった視聴者層が、あまちゃん以降はリタイアした男性も朝ドラをよく見ているようです。
ドラマのストーリーは様々ですが、大体二通りのパターンがあります。
ひとつは、特定の時代に区切ったヒロインの動きを描くもの。
「純と愛」、「てっぱん」、「あまちゃん」などはそうでしょう。
もう一つは、ヒロインの幼少期から老年期までの一生を描くもの。
ゲゲゲの女房、あさが来た、などです。
あまり人の反感をかわなそうな、爽やかな若い女優さんがヒロイン役を射止めることがほとんどの朝ドラですが、上記の、ヒロインの幼少期から老年期までの一生を描くパターンの場合、私は結構視聴をためらいます。
それはなぜか。
コントにしか見えない
ヒロインを演じるのは、若くて綺麗な女優さんです。
にもかかわらず、老年期のヒロイン役もやることがほとんどです。
そうなるとどうなるか。
まず白髪交じりのかつらを被ります。それはまあいいでしょう。
しかし、肌はピチピチなのです。
ヒロインの娘役の女優さんと同じくらいピチピチなのです。
電波がアナログの時代ならば、画質も悪くて多少肌がピチピチでもごまかせたのでしょうが、デジタルで肌の様子がはっきりわかる高画質の時代に入ると、ピチピチをごまかすことはできません。
結果、白髪のかつらを被った肌ぴっちぴちのヒロインが画面に出てくるので、なんだか少し「志村けんのバカ殿」でも見ているような感じになるのです。
ヒロインを途中で変えてもいいのでは?
肌の質感を変える特殊メークをもっとしっかりしてほしいという希望がかなえられないなら、個人的には、ヒロインが歳を重ねたなら、女優さんも変えるべきだと思っています。
前例はないわけではなく、「カーネーション」では途中で、尾野真千子から夏木マリに変わりました。
それに、幼少期のヒロインは子役がするのですから、老年期に別の人がヒロイン役をしても決しておかしいことはないと思うのです。
たしかに、ヒロインが成長するともに、若い女優さんも演技力が磨かれ成長していく様子をみて感動するファンもいるでしょう。しかし、今はかつてのように一年単位で放送しているわけではなく、半年単位で放送しているのですから、そのような醍醐味も薄れてきています。
テレビがこれだけ、高画質化した以上、それにあったキャスティングというものもあってしかるべきだと私は思うのです。
さもなくば、映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」のブラットピットに施したような素晴らしいメイクアップを!