ちょっとした旅行に行くとして、その持ち物で満足できるだろうか。
私物の整理をしています。
はてな界隈で嫌われているミニマリストを目指しているわけではありませんが、
私服を制服化するなど、とてもシンプルな生活を心がけています。
シンプルな生活というと、清貧とか物を買わないというふうなイメージがありますが、
私の場合は、自分の気に入った物だけ持っていればいい感じで、物は割りと買います。
その代わり、要らないものは徹底的に捨てますよ。ふふふ。
自分の気に入った物かどうかを見極める方法
近藤麻理恵さんは、「ときめき」という言葉で表現されていますが、
この方法の弱点は、
普段使っている物についてはあまり効果がないことです。
たとえば、家の鍵がダサいからといって、捨てる人はいませんよね。
ときめかないから捨てよう、とかいう人がいたらヤバイです。
また、唯一持っているスマホがあるとして、それを捨てる人もいないでしょう。
ダサかろうが、なんだろうが、必要なのですから。
しかしダサいので買い替えようと思う人もいるはずです。
明確に「ダサいから気に入らない」と感じているものについては、単に買い換えればいいのですが、
潜在的に、心の奥底で気づかないうちに「気に入らないもの」
あるいは、必要だからという声が大きくて、「気に入らない」というもう一つの声が聴こえない場合もあるでしょう。
そういう潜在的な声を聴く方法として、
「ちょっとした旅行に行くとして、その持ち物で満足できるだろうか」という問いを自分に発してみるといいと思います。
自分の場合
デザインが気に入らなけれども、機能面で十分なので使っていたリュックがありました。
機能さえ良ければ、他人にどう見られてもどうでもいい、というスタンスだったので、使っていたのですが、
思えば、無印良品のリュックのくせにすごくゴテゴテとしていて本当に気に入らないリュックでした。
ただずっと「デザインが気に入らない」という声を「機能は使えるから。それにこれしかないし」という声がかき消していました。
ですが、ある日ふと「このリュックで京都旅行とか行きたいかな」と思った時に、「イヤだな」って思ってしまいました。
それで、自分は本当にこのリュックが気に入ってないんだとわかりました。
結局、新しいリュックに買い換えて、無印のリュックは退役させました。ご苦労さま。
人の心の中には様々な声がある
人の心の中には様々な声があります。
そしてその声同士は、いつも論理的に整合しているとは限らず、
ある声とある声は矛盾していたりします。
そして大きな声が小さな声をかき消していたりします。
それでも、そのちいさな声も紛れも無く自分の声です。
無視し続ければ、反乱を起こすような気がします。
そして、そういう声を聴くためには、いろいろな「いい問い」がいるのではないか。
そう思いました。