牛乳有害論と科学不信に思うこと。
牛乳有害説が、周期的にネットの世界に現れる。二年に一度くらいだろうか。オリンピックのようなものかな。夏冬夏冬。
牛乳有害説は、その名の通り、牛乳は体に良くないという言説だ。場合によっては「日本人にとっては体に良くない」と対象が絞られる。
荒川弘の「銀の匙」などで、牧畜農家が大変な思いをしていることを知ったので、こういう言説には異議しかない。
実際、牛乳有害説は科学的に疑義を示されている。
ただ、それでも私は牛乳は基本飲まない。飲めない。いわゆる乳糖不耐症なので飲むとお腹を壊すからだ。これはあくまで個人的な経験による。
個人的な経験をして、普遍的なものと勘違いする人は多い。
乳糖不耐症の人も、個人的な体質を棚に上げて、「牛乳=有害」と安直に結びつけるのは、前述の通り、牧畜業の人に迷惑だ。「牛乳有害説」は有害なのだ。
牛乳を飲んでもなんともない人も多い。そうでなければ、牛乳をこんなに飲む人はいないだろう。
もっとも、乳糖不耐症というのがあるということを啓蒙することは決して悪いことではない。知らずに未だに牛乳を飲んでお腹を壊している人はわりといるのではないか。
だとしても、「牛乳有害論」を持ち出す必要性はなく、単に「乳糖不耐症」を示せばいいだけなのだ。
それにしても、食品に対する科学的知見に対する不信感というのは、どことなくじっとりと存在している。
牛乳有害論と並んでよく出る、市販している食パンは有害だ、とかいう類の話だ。
一つには、栄養学がまだ新しい学問だということだろう。
数十年前は、「きのこやたけのこには栄養などない。ごぼうなど食べるのも無駄」と大学で教えられていたそうだ。私の父が言っていた。
科学だからこそ、コロコロと新たな知見が発見され、これまでの説が覆されるのであるが、逆にコロコロと言うことが変わる人が信用されないように、科学も信用されないのである。
そして、我々に提供される科学知識は、個人的な体質にカスタマイズされているわけではなく、いちばん大事な「自分にとってどうか」ということには、こたえてくれない。その点も、栄養や食事に関する科学が信用されない理由だ。
同じ科学でも、個人差とは無関係な万有引力の法則とは違う、という点にあまり思いが至りにくい点も、不信感を増幅させるもとだろう。
結局、自分の体調不良は、高い金を払って医療機関に精密な検査をしてもらうのでないなら、エセ科学的言説で紹介されている事例と自分の経験でなんとかするしかない悲しさがある。
まとめ
- 牛乳有害説は怪しい。
- でも、私達一般人がメディアなどから得る「科学的知識」は一般論過ぎて、「自分にとってどうか」という点には答えてくれない。
- 結果、自分の体調不良は、原則自分の経験でなんとかするしかない。
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